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2016年2月20日 (土)

Day 181: 理論的な経済学・雑多な政治学

本日2月19日は、メリーランド大学経済学部の現役の教授だったMancur Olsonが亡くなった日にあたる(亡くなった年は1998年)。経済学部と政治学部が入っているTydings Hallで突然倒れたらしい。死因は心臓発作だそうだ。ご存命であればノーベル経済学賞を受賞していた可能性が高かったといわれる。ノーベル賞をとる秘訣は長生きすることだというのは、まぁ本当なのだろうと思う。ちなみに、政治学者の肩書き(政治学でPh.D.を取得)でノーベル経済学賞を受賞したのは、Herbert Simon(1978年)とElenor Ostrom(2009年)の2人。

実証的な政治学は、自前で理論をつくることなく、隣接する学問分野から理論を借りることで成り立っている、ということは、日本でもアメリカでも、遅くとも大学院に入ってすぐまでには習う。主に影響を受けているのは、経済学・社会学・心理学などであるが、とくに経済学は、このブログでも度々出てくる「合理的選択理論」という名前で輸入されていて、それをどの程度政治学の世界に持ち込むかをめぐって、政治学者の間で延々と論争が続いているぐらい、影響力が大きい。

この経済学と政治学の関係の話、その経済学者Mancur Olsonの業績を例に。Olsonが提示した「集合行為論」は政治学では学部1年生の授業で出てくるぐらいメジャーである。そんな大先生が長年勤めていたのと同じ建物で勉強している、というのは、今から20年前の学部1年生のころには、もちろん想像もしていない。

それはさておき、Olsonの理論は、簡単にいうと、「人間は個人の利益を考える」という経済学に広く共通する前提から、人間は誰かが提供してくれるものにただのり(フリーライド)しようとするから、利益団体は簡単には成り立ちませんよ、という結論を導いているものである。でも、経済のように個人の利益で大体カタがつく世界と違って、政治の世界の人間はもっとドロドロしていたり逆にピュアだったりする(さてどっちが厄介者でしょう?)ので、Olsonの理論は前提がおかしい、人々は個人の利益と違う理由で団結するのだ、という批判が出てくる、という次第。Olsonとその批判、どちらが正しいのかというと、どちらも正しい(と私は思う)。人間は経済学が想定しているような面もあればそうでない面もあるし、どちらがより目立つかは、人によっても場合によっても違うだろう。政治学の課題は、では「どの程度・どのように」、経済学の世界でつくられた理論を、政治の世界に応用できるかを考えることだ、と私は思う。

政治学は雑多な学問なのであり、「政治学者は何でも知っていないといけない」ということを、ものすごく若いころに言われた。それを見習って、私などは、病院のような待合室に雑誌を置いているようなところでは、最優先で女性週刊誌を読んでいるのだが(わざわざ買うまでには至っていない。これもフリーライダーになるのか?)、それが学問にどう活かされているのかはいまだ謎である。日経よりも勉強になると思うのだけど、ダメですかね。

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